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博多の焼け野が原を見た豊臣秀吉は、
博多の再興を行う。




博多の地を、
大陸との貿易に欠かせないと
考える一方で、



百姓から伸し上がった秀吉は、
荒廃した街を視て、



戦のない街、
住みやすい街、
そして、発展する街に
変えたいと願ったと思う。




その気持ちが、『 利休釜掛けの松 』につながる。




平正15年(1587年)に、薩摩軍を従わせ、九州平定を
なした秀吉は、滞陣していた筥崎宮にて、
茶会を催した。(宗湛の献茶会)



千利休は、この地の松に鎖を吊るして雲龍の小釜を
かけ、白砂の上に散り敷いた松の葉を集めて湯を沸かした。



秀吉と利休と博多の豪商神屋宗湛と小寺休夢
(福岡藩の藩祖黒田如水の叔父)らと和歌を詠じた。



この場所が、今の福岡市東区馬出の
九大病院内の敷地に遺る。

この時から、途切れることのない博多として、

         「博多の町割 Vol.1-2」に続く