『いざ子ども 香椎(かしい)の潟に 白妙の
袖さえぬれて 朝菜摘みてむ』(大伴旅人)
上は日本最古の歌集「万葉集」の巻6−957に収められている。当時の大宰府長官 大伴旅人が、728年11月に福岡市の東北部にある香椎廟(宮)に参拝し、その後、香椎浦で詠んだ歌である。
「さぁ皆の者 この香椎の干潟で (白布の)袖が濡れるのも忘れて 朝げの藻を摘もうではないか」
香椎宮の参拝を済ませたすがすがしい朝、博多湾の海岸線沿いに馬をすすめ、旅人は風雅な心地をおぼえたのであろう。
その旅人の眼下にあるのは、朝日をうけた香椎潟のきらめきと海藻を獲る海人(あま)の姿か。その先には海の中道の遠景が水平線まで続き、初冬の澄んだ空の色が広がる・・・。そういう古代の情景を、まぶたの中で思いを馳せた。
この万葉集にでてくる“香椎”の地名の由来だが、諸説ある。そのいくつかを紹介しよう。
香椎宮に隣接している古宮(仲哀天皇の熊襲平定の策戦本部、皇居跡)には、「棺掛椎」がある。
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神木 棺掛椎
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この椎の木に仲哀天皇の棺をかけたところ、薫香が漂ったので、この地を“香椎”と名付けたという伝承がそのひとつ。
また香椎宮はかって、万葉集にかかれている通り「香椎廟」と呼ばれ、天子の宗廟として他の神社と一線を画していた。
これが、中国朝鮮の宗廟思想の影響を受けて造営されたという見地に立つと、「カシヒ」の地名の起源を、古代朝鮮語に求められるのでは、という説もある。古代朝鮮語の中の類似語を調べてみると、王都の意味の語に解せれる、という。
ところで万葉集にでてくる“香椎”の表記だが、古事記では“訶志比(かしひ)”、日本書紀では“橿日(かしひ)”、また他の文献でも異なった表記で登場する。
もともと日本に文字が無い時代、自分達の言語を書き表すのに、外来の漢字を用いて、その意味に関係なく音だけを書き表していた。
これに関連して、福岡の古い地名について、ユニークな解釈をする本を紹介したい。この本による地名解釈は、以下の通り。
古い地名はもともとの言葉(ヤマトコトバ)から、好字佳字の文字を当てはめられ、またその漢字の持つ多様な音訓により、いかようにも読み継がれて来た。そうして地名の持つ本来の音も失われている。
また地名学者によると、古い地名の90%以上が、地形を表している、という。
そうしたことを踏まえ、現地の地形を確かめ、古図を読み、地域の発音に注意しながらヤマトコトバをたどり、地名解釈を試みたのである。
この解釈により、先ほどの“香椎(かしい)”を考察すると、
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カシイ
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→
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カシヒ
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→
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カスヒ
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→
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カシフヘ
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↓
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カシグヘ
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←
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傾(カシ)グ・辺(へ)
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つまり「土地が傾いて海に落ちる辺り」を指す地名となる。うーん言葉じりから考えていくと、少し強引な様な気もするが・・・。現地の地形はどうであろう。
現地を見ると、なるほど香椎宮近辺を香椎という地域であると考えると、ゆるやかな丘陵地帯である。
海側から香椎宮に向けて南下する道で、JRの香椎駅横の踏み切りを越えると、すぐ右横に崖地がある。
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万葉歌碑
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この崖地の上に香椎宮頓宮があり、前述した大伴旅人の歌が碑文となった万葉歌碑が設置されている。ちなみにこの碑文、明治21年・三条実美の筆によるという。
この歌碑の説明文によると、昭和初期まで、この丘のふもとまで波が押し寄せ、遠浅の磯浜が見渡せたとある。また明治33年の香椎の周辺地図を見ても、鉄道よりすぐ北は、香椎潟であった。この干潟も、この何十年かで埋め立てられている。海岸線が1キロほど遠くなって、現在では住居や商店街に変わった。
この推論でいう古代の地名の漢字は、好字佳字の当て字だ、というのは理解できる。地名の多くが地形から名付けたというのも、順当な解釈だろう。
「カシグヘ」が香椎になったかは、そうとも言えるし、もう現代には通用しないヤマトコトバであって、違うのかもしれない。全然的外れの推論にすぎないともいえる。
まぁこれは、地元の地名に愛着を持つ人にとっては、異論があるでしょう。著者も本の中で言ってますが、地名考察の一説、問題提起と捉えて下さい。
その他、ヤマトコトバによる地名の解釈を、少しだけ紹介する。
●和白(ワジロ)は、“ワシロ”の当て字であり、ワは海岸線の湾入で、シロはシリゾクことで、入り江が深く入り込んだ地形のこと。
●堅粕(カタカス)は、干潟の州で“潟(カタ)ヵ州(ス)”。かって博多部を始めとして那珂川と御笠川に囲まれた両河地帯は、干潟と土砂などの堆積で造陸されたことが知られるが、堅粕も同様な地形であることを示している。また、水に浸りやすい地域という警鐘でもあるという。
【参考文献】
『福岡都市圏の古い地名』 池田善朗
『萬葉集釋注三』 伊藤博
『日本の神々1』 谷川健一 編 |