ホーム博多ARE-KORE>川上音二郎の海外奇談

壮士芝居で一躍名をあげた川上音二郎。彼のまき起こすエピソードは、予測不能で破天荒なものが多い。
例えば、衆議院選挙に立候補して落選したと思ったら、突然、家族を連れ、中国に行って来るとボートで出航したりなど。本気なのか、只の大ぼら吹きと見るべきか、周囲の人もさぞ困ったことだろう。
そして今度は、海外公演の話が舞い込むのだが・・・。
第12回 川上音二郎の海外奇談
 メジャーリーグで奮闘する新庄の姿を見ると、今から100年ほど前に海外に渡り、初めて日本の演劇を紹介した同郷の先輩 川上音二郎の姿が彷彿させられる。
 陽気な性格で憎めない奴、破天荒な行動に驚かせられるが、見ててつい応援したくなる―。川上音二郎もそんな人物だったんじゃないのかな。
 その音二郎率いる川上一座の海外巡業は、これまた波乱万丈の奇談珍談に溢れている。


◆日本人初の女優“貞奴”
 アメリカに渡り、最初のサンフランシスコ興行は、日系移民や東洋に関心のある外国人に受けて、好調な滑り出しだった。
 その演目も工夫し、外国人にも分かりやすいように、歌舞伎でもサムライと舞踊に限定していた。
 妻の貞は、芸者時代に磨いた日舞を活かし、“貞奴”の芸名で歌舞伎舞踊の「道成寺」などに出演することとなった。


◆突然の苦境
 ところがアメリカまで連れて来てくれたパトロンが、事業が傾いた為に手を引いてしまった。さらに悪い事が重なり、悪徳弁護士から興行の収益を持ち逃げされたのだ。
 一転して一座は、食うや食わずの惨憺たる状況になった。
 そういう事態で、川上夫妻が娘の様に可愛がり、子役で連れて来た姪の鶴子を、現地の知人に預けている。
 この鶴子が長じてハリウッドの映画女優となり、当時の日本人スター早川雪洲と結婚することになる。


※早川雪洲は、ハリウッドの創成期、サイレント時代の大スター。戦後は、デビット・リーンの『戦場にかける橋』で、アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされている。

◆壮士劇の本領発揮
 川上一座はどうにかシカゴまでたどり着き、劇場主に拝み倒して、何とか興行ができるようになった。
 街を武者姿で行列するデモンストレーションが受け、客席は満員となった。
 空きっ腹の立ち回りはフラフラだった。ところがかえって演技にリアリティがあると評判を呼び、大成功となるのである。
 シカゴでやっと一息ついた一行は、アメリカ各地で興行を続けていった。


 ボストンに着くと、サーの称号を持つイギリスの名優が、シェークスピアの『ベニスの商人』を公演し、評判も良かった。
 こっちも負けられないということで、『人肉質入裁判』と題し、音二郎が一夜漬けで日本風にアレンジしている。
 当然、役者もセリフを覚えれるはずもない。相手が外国人ということで、適当にしゃべって、仕草だけ合わせればいいという乱暴なものであった。


 ところが、観客は筋を知っているので、本場英国のシェークスピア劇と日本流の劇の競演に関心が高まり、これまた盛況となった。

◆ワンダフル!「ハラキリ」「ゲイシャ」
 ワシントンに行くと、駐米公使の小村寿太郎の招きで、日本公使館の夜会で日本劇を行う事になった。なにせ当時は後進国の日本。公使館が夜会を催しても人気がなく、いつも閑散としていた。
 しかしこの日は、珍しい日本劇が客寄せとなり、マッキンレー大統領を始め、ワシントンの文化人が勢ぞろいとなる。
 VIPが揃った観客から「日本のハラキリを見たい」との要望があがると、ええぃとばかり、即興で曽我兄弟に切腹をさせた。客席も大いに沸いた。

 音二郎はこの後のパリ公演でも、遠藤盛遠(横恋慕した相手を死なせ、改心して文覚上人となる侍)まで立ち腹を切らせている。

 これらは観客迎合、役者としてのポリシーがないと批判されたかもしれない。異国の地で、日本演劇を判りやすく見させる(興行として受ける)手段であり、まさしく伝統にとらわれない壮士劇の本領発揮といえよう。
 もっとも音二郎には、役者というより仕掛け人、プロモーターの顔が垣間見れる。


 ニューヨークの公演中、音二郎は俳優養成学校を見学している。
 学校の整った設備に、演劇技術の向上の為の厳しい訓練。この地で、演劇が芸術として認められ、俳優の社会的地位が高く、尊敬されるのも理解できた。


 イギリスに渡るとにわかに日本劇が注目され、バッキンガム宮殿にまで招待され、公演している。

 米英での評判が伝わり、最終目的地であるパリの万国博の興行も、「サムライ」・「ハラキリ」・「ゲイシャ」で大成功に終わった。
 どうも西洋人が日本のイメージで抱く、「ハラキリ」・「ゲイシャ」は、この川上一座の影響ではないのだろうか。


◆マダム貞奴
 この巡業では、華麗な舞踊をみせる貞奴が、「マダム貞奴」と呼ばれ、外国人の間で特に評判だった。
 なにせ当時人気のあった日本の浮世絵の世界が、目の前で再現されているのだ。
 ピカソやロダンなど、当時の著名なアーティストに、多大な影響を与えたといわれている。


 博覧会閉会後、フランス大統領から園遊会に招かれている。そこでも貞奴の「道成寺」を披露して、満場の喝采をあびた。
 そのご褒美でもないのだろうが、一座が帰国した後、本国の一流芸術家もめったに貰えない勲章を、仏政府から届けられることになる。


◆日本演劇の改革
 音二郎はこの後も数回、海外へ渡航するのだが、西洋の演劇を目の当たりにして、日本演劇の改革への必要性を痛感し、果敢に取り組んでいる。


●舞台装置を西洋化して、シェークスピアなどの欧米の翻訳劇を初めて公演した。
●観客に余計な出費を強いる茶屋制度を無くし、切符一枚で観劇できる様、興行システムを改革した。
●「帝国女優養成所」を作り、俳優の養成に力を入れた。
●小学生を招待して、児童向け演劇を公演した。
●独力で近代的な劇場を建てた、など。


 そうして壮士芝居の座長から、日本近代演劇を牽引していく第一人者へと変貌したのである。

【参考文献】
『川上音二郎の生涯』 井上精三
『福岡町名散歩』 井上精三
『開場記念 新派 特別公演プログラム』 博多座
『イミダス2002』 集英社
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