奈良時代の聖武天皇(在位724〜749年)のころ。筑前守に任命された佐野近世という人が、妻と春姫という娘をともなって、京から博多へおもむいてきました。
長旅の疲れか、近世の妻は異郷の地で亡くなり、娘の春姫は、博多の毎日を泣き暮らしていました。
人のすすめもあり近世は再婚し、春姫のもとに新しい母親が来ます。ところがこの継母にとって、春姫の存在は目障りでなりませんでした。
ある夜、継母はひとりの漁師を呼んで、春姫が自分の釣り衣を盗んだと、近世に讒言させました。
信じられないという顔の近世は、継母に問いました。
継母はなにくわぬ顔で、『そんなことはございますまい。姫は寝所で寝ております。後妻の私が問えば、角がたちますので、あなたが確かめに行って下さい。』と答えました。
近世はあわてて姫の寝所に行き、灯りをともして部屋を見て驚きの声をあげる。眠っている姫のからだの上には、びっしょり濡れた衣がかかっていたからです。
この地を預かる近世としては、怒りで気が動転し、手にした刀を眠っている姫めがけて、振り下ろしていました。
一年がたちました。
近世は寝苦しさに、うつらうつらとする中、枕もとにひとりの少女が立っているのに気づきました。
『濡衣の 袖よりつたう 涙こそ 永き世までの 無き名なりけり』
はっと目をさました近世は、春姫が夢枕にたち、自分の身の潔白を訴えていたと悟りました。
姫のいじらしさに悔恨の涙を流した近世は、肥前の松浦山で苦行を積み、娘の霊を弔いました。そして博多に戻り、七堂(普賢堂、石堂、奥の堂、辻の堂、萱(かやの)堂、脇堂、瓦堂)を建立したといわれています。
また、無実の罪をかぶることで“濡衣を着る”という言葉は、この話に由来します。
【参考文献】
『郷土のものがたり』 福岡県
『博多だいありい』 博多を語る会 |