母里太兵衛が福島正則から呑み取った槍は、後に大身槍「日本号」と呼ばれ、現代まで引き継がれたのだが、その実物を目にすることができるという。これは、行かねば。
場所は百地浜の福岡タワー近く、福岡市博物館(左写真)。
この中の黒田記念室で、常設展示されている。
ひと目みて、その大きさ、装飾の美しさに圧倒される。
刀身が1尺(30?強)を超える槍を大身槍というが、この槍は穂先が79.2?もあり、全長になると3mを超える。こんな大きなモノを振り回して、ぶん殴ったり、刺し殺したり、よくできるなと戦国武士の腕力に妙に感心してしまった。
また、この槍に施された装飾が素晴らしい。
刀身には、倶利迦羅竜(くりからりゅう。不動明王の剣に巻きついて、剣先を飲み込もうとする竜)の浮き彫りが施されている。鋼に彫られた、そのきめの細かい技術も合いまって、刀身から発せられる冷たくまばゆい光に、めまいをおぼゆるほど。
そして柄も実に美しい。螺鈿(らでん。貝の真珠部を薄く切り、磨き上げて貼り合せる技法。漆器や蒔絵に使われる。)という技法だそうだが、虹の様に艶やかで、上品な華やぎがある。
これが人を殺傷する武器か、いやいやうっとりと魅了される芸術品だ。ところが、この見事な槍も、文化財に指定されていないという。
どうやら無銘であり、伝承に裏づけがないことが理由らしい。
しかし、よく戦国時代からこの名槍が受け継がれ、現代まで残ったものだ。
この呑み取り槍を手にした母里太兵衛は、朝鮮の役で使い、結構戦功をあげたようだ。
この時、同藩の兄貴分の後藤又兵衛もこの槍に惚れ込み、太兵衛に譲れ譲れとうるさく言ったらしい。太兵衛はとうとう根負けしたのか、又兵衛に槍を譲ってしまった。
正則といい太兵衛といい、戦国期の豪傑は何とも思い切りがいいものだ。
その後、又兵衛は長政と確執を起こし、浪人して福岡を退散している。その際、太兵衛の甥っ子である野村祐直にこの槍を譲り渡した。それ以後、永く野村家の家宝であったのだが、明治期に野村家が手放し、回り回って、黒田家に献納されたという次第である。
【参考文献】
『ふくおか歴史散歩』 福岡市
『博多に強くなろう』 福岡シティ銀行編
『博多の絵日記』 江頭光 |