博多の町はちょっと掘ると、こんな風に遺跡がある。
金印「漢委奴国王」より以前の遺跡だろうか。
打製石器による、狩や植物の採集などで生活した跡だろうか。
それとも約1万2千年前ぐらいに土器作りが始まり、食料を煮炊きしたて食生活レベルがあがったころだろうか。
縄文時代前期には、九州で使われた曽畑式土器があります。
それは、朝鮮半島の櫛目文土器と形や文様構成がよく似ている。
それと、魚をとるときの漁具としての結合釣針・石鋸が、朝鮮半島から西九州に共通に分布し、その漁具は、外洋性の大型魚のサメ・マグロをとるためのものである。
つまり、朝鮮半島と西北九州の漁民の交流がもうすでに始まっていたんです。
写真の発掘の時代はまだ知らないが、(後日、調査報告いたします。)
例えば、1万年前として、1メートルの深さとしたら、1ミリが10年。
塵も積もれば、
昔のことは忘れられ、
でも、現代へと脈絡と続いている。
歴史の長さは、土の深さに比例している。
みんなが今まで住んでいた下に、本当に、よく遺跡が残っているなんてなんと不思議なことだろう。
人が住んでた地面の下に、昔生活した人たちのあとがある。 |